じぎょメモ

都内某社でデジタルマーケティングとか社内ライターとかしてがんばっている。勉強中で日頃気になったアレコレをまとめます。気持ちアドテク多めな気持ち。

インターネットは人類にちょっと別のゲームを提案してきている。

最近よく考えてしまうテーマに、「考える人とおめでたい人はどちらが幸せか」みたいなものがある。

※同じタイトルの本があった。

 

 

人生って、急にしんどくなる。生まれてくる子供は親や家庭を選べないし、親も子供の先天的なところは選べない。

残酷だけど最終的に運みたいなもので、その辺りについては個人の努力ではどうしようもない。

その人は全然悪くないのに、毎日と境遇にとても疲れてしまっている、生きるのに疲れてしまっているような光景をみるとなんだかとても辛くなったりする。

そう言う人たちを見て、「あの人はあんな境遇で辛いだろう、苦しいだろう。」、「そういう人生もあるんだよな」とかいったおせっかいだけならまだしも、あげく「自分がああいう運命じゃなくて助かった」なんていう最低最悪な感情も、心の隅にはあるのかもしれない。

それでも結局その人の人生はその人にしか全て見えてないし、自分のもそうだし、それぞれがそれぞれ自分の人生を抱えて生きていく。

 

とある友人がいる。年収は200万円台でしっぽり田舎暮らし。休みの日はテレビを見ながらゴロゴロ。何をするでもなく、何を始めるでもなく、日々が過ぎていく。

自分なりには楽しいのだろう、僕もそういうくらしがしてみたい。けれども都内の大手企業でバリバリ働く年収700万円くらいの同級生から見たら「そんな体たらくで大丈夫なのか?酒は?女は?仕事は?」なんて言われてしまうかもしれない。

 

自分なりには楽しいのに、そうでない人にとってはそうでないし、そこは個人の価値観みたいなものがあるのでしょう。

それも結局すべてを把握した上での判断ですらないのだから、他人と自分の人生を比べることが、どれだけ"不十分な判断"となってしまうか、そんな気もしてくる。

分からないことや他人のことは、考えて落ち込むだけ無駄なんでしょう。

 

 見た目はスマートで年収も多く、ハイスペックな配偶者と豪邸に住み、充実した休日、可愛くて賢い子供、気心の知れる友人達となに一つ不自由なく楽しく暮らす。

実現出来ているのはほーんの一部の人たちだが、そういう成功願望自体は多くのひとが持っている。けど、そういった欲をどうやって実現するかと割とまじめに考えてしまうあたりで、世の中からしたら平均以上なのかもしれない。

ソレドコロジャナイ、みたいな人たちも確実にいるのに。

 

 人も動物なので、強いやつは生き残り、残念なやつには残念な結末が待つ。幸せになりたかったり充実したかったりするのであれば、それらを心から願ったり祈ったりする事自体には意味がなく、社会というゲームのルールや攻略法を理解しスコアを重ねなければならない。

ところが個人的には、なんかどうも最近「インターネット」がこれを一部変えている気もしてる。

インターネットは人類にちょっと別のゲームを提案してきている。

 

現実世界のルールは割としんどくて、「金持ち」か「外見が良い」か「頭がいいやつ」が勝ちやすい。先天性傾向が比較的強い。

ところがインターネットでは違う。「すべてが無料」で「顔は見えず匿名」で、そして

Google先生で武装すればもはや「個人の知識レベルも関係ない」。

ユニークユーザーとしてのあなたは、今さっき生まれたものだ。

 

 インターネットでは、いままでのそれとは異なるゲームが繰り広げられている。

楽しむためには金持ちである必要もなく、女の子を口説くにも、イケメンなモデル体型である必要もない。(イケメンの写メやらなにやらはその辺にたくさん転がっている)

 

それらが必要なとき、欲しい時に検索ワードを打ち込んでエンターキーを叩けば良い。

 

現実世界で繰り広げられるゲームとインターネットのそれは、ルールも違えば見返りも異なる。インターネットのなかで生存競争に勝ち残り、ひとつの個体としてヒエラルキーの上位に属しても、結局その見返りは基本的に自己承認欲求の充足くらいではなかろうか。

 所詮ネットで知らない人と議論をかわそうが勝ったところで収入が増えるでもなく、出会い系サービスで引っ掛けるよくわからん異性はそれなり?だろうし、適当に調べてコピペした情報は、翌日には自分の脳からどこかに行ってしまい、知識にはならない。

 

 戦いもバーチャルなら、見返りもバーチャルな感じだ。

所詮、「楽しめる」というレベルなのだろう。

 

 もちろん全てが全てそういうわけではないのだけど、そういう”たまり場”みたいなものが、インターネットには結構あるみたいで、これらを信じきってしまう、リアルでの拠り所として依存してしまうと結構リスキーなんだろうなぁ、と感じます。

 

 イージー・カム・イージー・ゴーということばがある。

手に入りやすいものは残らない。

 

 この言葉以上に、インターネットを上手く表現している言葉があるだろうか。

そんな気がしてます。

 そういう刹那的な一期一会みたいなのが、インターネットのいいところでもあるのだろうけども。

 

 

そんなインターネットという巨大装置と明日からまた生きていくわけです。

 

 

 

なんつって。