じぎょメモ

都内某社でデジタルマーケティングとか社内ライターとかしてがんばっている。勉強中で日頃気になったアレコレをまとめます。気持ちアドテク多めな気持ち。

電車の中でぼんやりと考えた的学問のすすめ

 

 
 
学問と学習の違いって意外と大事だと思っている。優劣とかではなくて、そもそも根本的に全然違うものだと感じていて。
だし、大学生活という期間もある程度学習から卒業し、学問の扉を叩く過渡期としてとても重要なのだと思う。
 
 
 
◆学習の話

 

小学校に入って中学高校とやってくるいわゆる勉強は学習なのである。

 

先生がいて教科書があってそして正解と不正解がある。
学習の本質的なところは再現性の習得にあると思っている。

 

言われたこと、見えていることがどれだけ出来るか・進められるかという場合に用いられる指標。誰がやっても同じような結果を導き出せることが美徳である。教育機関側の評価基準も、試験の点数を中心としており、見事に兵隊さんが出来上がるわけです。
 
でもここまでは義務教育の部分がなんとかしてくれる。
先生もいるし、みんないるし、だいたい何とかなる。
 
問題は学問なんです。

 

こればっかりは、意外と教えてくれる人とか誘ってくれる人が少ない。
まったくほとんどやってこなかった人もいる。
 
 
 
◆学問の話

 

一方で、学問とは、そもそも「問う」という文字を持つように、答えを導き出すものではない。問題を見つけ出すものでもある。と思うのです。教科書も正解も不正解もないなかで、わからないことを問うていき、法則や原則を発見し、理解するという創造性の部分にその本質がある。
 
 
 
なんというか、大人になっても学問をやめてはいけないな、と思う。
学問をやめた人間は見ていてあんまり楽しそうじゃないし、話をしても面白くないし、なんだかセクシーじゃない。こっちがわかっていること、知っていることしか言わない。自分で知識や経験の冒険をしないので、レアな情報を持っていない。
 
 
 
題材なんて何でもいいのだろう。

 

経済とか政治とか、○○学なんて仰々しいものじゃなくていいのだろう。
 
おいしいにくじゃがの作り方とか、気になるあの子へのアプローチとか、伸び悩んでいる自分の業績でも、なんでおはぎってあんなに美味しいの。でもいいのだろう。
世の中にある「どーすっかなー」というものに対してしっかりと向きあい、ある程度の時間をかけて、考えていく。
 
 
ただし。決められた答えを出すことにあまりこだわりすぎてはいけなくて、正しい問いをかけられているのかと考えよう。

 

公式のないところに、本当の戦いと、その価値があると思うのです。
 
 
 
まずは状況を把握し、体系を掴み、本質的に解消すべき課題は何なのかをしっかり策定し、そこから仮設の構築、そして施策の考案、最終的にアクションをし、成果に対してまた冷静にレビュー・評価し、それでも当初の課題が解消されていなければまたはじめに戻る。
 
かっこつけて言うとPDCAサイクルだが、大学生活における学問の時間は、これを会得する最良の機会だと思う。

 

つかわないともったいない、将来の就職先やお給料、ひいては結婚相手とか人生全体に関わってくる。
こういうことが、できちゃう大学生っているじゃないですか。

 

グループディスカッションでも集団面接でもいいんだけど、「なんだよこのデキ野郎め。いけすかねえ。」みたいな。
でもそういう人たちって、ちゃんと学問してきてたひとたちなのだと気付かされます。
とりあえず授業に行く。ではない。授業に行く理由を学問したことがありますか?

 

そうして臨むかそうでないかで講義から得られる価値の質は天地の差。
この問いと思考と意思決定を重ねている。無意識かそうでないかは知らないけど。
 
 
もちろん、「じゃあ今から学問に振り切るぜ。あばよ学習!」となってしまっては、それはそれで上手くいかないわけでして。

 

学習と学問は、自転車で言うとそれぞれ両輪なわけで、どちらかが欠けてもダメなんです。
学問における思考と判断の土台には、学習で蓄積した知識が必要不可欠なのです。
 
 
 
 
 
 
 
でもまぁ

 

なんというか、仕事をしていて特に思うのが、再現性に対するリターン(報酬)は今後どんどんタイトになっていくだろうということ。正直、特定の公式やパターンのなかで勝負しても、絶対に機械連中には勝てない。そんななかでも、人間の雇用が終わらないのはちょっとした想像性への期待と愛着だったのだろう。やっぱりちょっとしたハプニングやイレギュラー対応はまだ人間のほうが強い。
 
とはいえ、そのパイは機械による効率化をシビアに見ていくと完全にただのコストだし、当然そんなもんに払うお金は今後目に見えて小さくなっていくわけで。
 
 
 
 
 
大学生は、もしかしたらたまには学問する、ということをしれっと意識してみるのもいいんじゃないでしょうか。
イヤホンを耳から抜いて、スマホもしまって、適当に大きな河や海を見ながらぼーっと腰を下ろして考え事をするのも悪くなかったりする。
 
 
 
 
 
なんちって。