じぎょメモ

都内某社でデジタルマーケティングとか社内ライターとかしてがんばっている。勉強中で日頃気になったアレコレをまとめます。気持ちアドテク多めな気持ち。

悪しき仕組みに対するなんとなくな憎悪。

というか、嫌悪感といったほうがまだ正しいかもしれないけど。

なんか許せないタチになってしまいました。歳かしら。

 

その座組みや仕組み自体はなんとかなっていたとしても、それがあることで世の中が「正しく頑張らなくなる」というものがあると思っていて、その要素を取り除きたい欲求が最近すごい。

もちろん、それは自分の生活環境に関してもいえるとは思うのだけど、結構あると思うのです、発展や進歩につながらない怠惰としてのショートカット。

 

これはいきなり自分の話になってしまうのだけど、自分が広告代理店という広告主とメディアとの中間業者にいるからであり、かつその中間業者を徹底的に排除しようとせしめるアドテクノロジー事業領域のR&Dを担当しているという相反した状況だからとも言える。のかも知れない。

会社にとって必要悪みたいな、厨二っぽく言うと「自分達の不必要性を体現するために存在している」みたいな感じです。がん細胞です。肩身狭いねん。

 

広告業界は、広告主がお金を払い、広告効果(広告主の期待する満足ポイント)を購入します。その効果自体は様々な売られ方をしていて、たとえば「掲載すること」自体が広告主の満足ポイントだったり(Yahooの一番目立つ枠とか)、一方で「商品を買ってもらうところ」までお金を払いたくないとかいうキャンペーンもあります。(これはいわゆるアフィリエイトとか呼ばれる成果報酬型のやりとり)

 

デジタル広告周りはだらしない大人や若手がヤンヤヤンヤやってるイメージが強いかもしれませんが、それ以上にテレビやラジオ、交通広告よりもしっかりと効果のあるなしが数字で出てきてしまうので、超絶シビアです。

100,000円かけて広告打って、広告主はいくら売上が上がるのか?みたいな話を一日中やってます。

そうなってくると、グロス(クライアントが払うお金)と原価(メディアに掲載するのにかかるギリギリのお金)以外に、関係各社における中間マージンが発生します。

そしてぶっちゃけてしまえば、中途半端な中間マージンとしての広告代理店には存在価値も明るい将来も無いと、とても強く思っています。

広告というのは結局のところ掲載面を介した生活者(メディア)とクライアントのサービスのコミュニケーションです。

そもそも精度と透明性といった「コミュニケーションが上手くいくために」っていう点でとても重要な二大項目を重視した結果、クライアントとメディアがおたがいのサービスにおけるシナジーを直接最大化させればいいじゃん。ていう感じです。

 

というわけでこういう問題も起きるし。

niconicoマイクロアド、FlashPlayerの更新装う不正広告の続報を発表

http://news.mynavi.jp/news/2014/06/23/347/

いわゆる、アドテクノロジーも、結局は中間への挟まり合いなわけでして、各社全力でクライアントの潤沢な予算に向かっておしくらまんじゅうなわけです。

※これはまだかなりジャンルを限定してスカスカなほう。

 

そうして機械化と効率化の一方で煩雑化と自動化を極め、ある一定の特異点を突破すると、ブラックボックスと化すわけですね。

そりゃこんだけ経由する部分が増えて、しかもそいつらが各々に「独自の自動最適ッス」とか言うんだもんね。そりゃそうだわ。

 

ある程度市場が膨らむと、今度は途端に原点回帰する動きがあります。市場原理って言うんでしょうか。

謎。

シンプルで純度の高いコミュニケーションを生むのであれば、それはもう広告主とメディアが直接(なんらかのツールを使うにしろ)すればいいし、そこでバリューを生み出せないのであれば、ただの中間税。

やりとりに工数もかかるし金もかかるし、伝言ゲームじゃいいものは生まれないし。

 

とはいえここは「めんどくささ世界一」の国、Japan。権利とか権威とかっていう昭和な居座り方をする商流もあるのが現実。間の人たちが何もしないなら広告の効果を落とすだけなので広告主にとってもメディアにとってもメリットはない。

 

もう具体的に言ってしまえば、クリエイティブエージェンシーと呼ばれるような、ある程度の広告効果を前提とした企画や制作から入り込める広告代理店、ないしはリサーチ・効果検証系に強いメジャメントと呼ばれるオペレーションが可能な代理店、あるいはエージェンシートレーディングデスクなんていう検索もバナーも全て対応可能な広告運用部隊を所有した企業でないと、「意味があるよねー」って言ってもらうのは厳しい。

 

なんだけど業界全体から言ってしまえば、割と楽観的な雰囲気を肌で実感している。

「そうは言っても、やっぱり代理店に相談が来るでしょ」というスタンスはありつつも、まぁ実際には来てる。超減ってるけど。

 

一方で中途の求人やヘッドハンティングの案件としてはいわゆる「インハウスマーケティング」と呼ばれるような、クライアントや広告主の社内で広告のプランニングやコミュニケーション設計を行う座組みが進んでいる。どんどん代理店や、アドテク事業社に声をかけている。そうそう、デジタルマーケティング担当の求人が増えて、しかもアドテクいじれると超好待遇だったりする。ぐへへ。

とにかく、その辺の個人(一般的な専門職の兵隊)で出来ることは、すべて広告出稿担当という次元で取り込まれていき、そもそも人材や知識の中抜きという形で最適化される。

いらないものはどんどん中抜きされ、広告主とメディアの直接取引が進んでいく。

 

というのを、その「微妙な代理店」にいつつも、健全であるように思えるし、快感ですらある。そういう市場になっても自分の会社がどのように生き残るかの戦略立て、それこそ広告事業部の人員レベルから建て直しを担当していたりもするので、なんだかアタマが重いし、ぼんやりするし眠いし疲れるし、帰りたいし、おなか減ったなうなわけです。

 

キャリアのプランは決まってるんですけど、問題は自社の在り方。

何が残せるかなあ。どーすっぺかなー。

 

なんつって。